憲法の改正について  (第1回)

 これまで、別のサイトで書き続けてきた憲法についての話題などをまとめて、政治経済社会に関する新たなブログを開設します。ここからしばらくは、すでに公開してきた記事を背負って引っ越してきたものです。では、さっそく始めます。

 
 しばらく前に、憲法を話題にしたとき、一生に一度は憲法改正の議論に加わりたいと書いた。そのときは願望のような気分だったのだが、段々と現実的な話題になってきた。そういうことを書いておいてみっともないが、私は憲法に詳しくない。中学生のときに習ったのが最後。全条、読み通したこともない。仮に今日、国民投票があると困る。

 でもまだ時間はありそうだ。今月の参議院選挙には間に合わないが、国民投票になるとしても相応の日数がかかるだろう。それまでに、中学生レベルから高校生レベルにはなっておく。もう高校生も18歳になれば投票権があるのだから。

 ときどき過去の別ブログでは聖書を話題にして、何だか、からかっているような文章を載せてきたのが、軽んじている訳では断じてない。信者ではないが、読み物としては大変手ごたえのあるものだ。今日も一言、お借りする。拙宅にある文語版「マルコ傳蘄音書」によれば、サタンを退散させたイエスの第一声が「時は満てり」であった。


 ネットを覗くと、自由民主党による「日本国憲法改正草案」というのを読める。「改正草案」と「現行憲法」の比較表があって、便利である。また同党のサイトには、参院選に向けた「政策BANK」という政権公約の文書も公表されている。便利な世の中になった。20年ほど前まで、下々がまとまった形で即座にこういうものを読める機会など皆無に近かったのに。

 この「政策BANK」において、憲法改正の項目は、長大な文章の一番最後に置いてある。憲法関係が最後とは、どういう意図であろうか。真ん中よりは目立つかもしれないが、それにしても東京オリンピックより後ろだ。

 また、「総裁挨拶」には憲法という言葉が見当たらない。今は触れたくないのでしょうか。報道もネットも、本件で盛り上がりを見せておりますのに。それに、なぜ改正を要するかという一番知りたい部分が無い。


 仕方がないので、自分の考えをまとめるためには、上記の「改正草案」を読まねばならん。報道の用語でいうと、私は昔からずっと「無党派層」とやらであり、先日、読み始めた段階では賛否を決めていない。ここでは改憲以外の政治課題は語らない。このまま改正されると、どういう憲法になるのか理解に努める。

 もっとも、取りあえず「前文」だけ読んだ感想(詳しくは、次回以降に触れる)を述べると、まるきり違うものに思える。改正というより、新品のごとし。なぜなら、前文が全文に近いほど書き換えられているからだ。それ自体は、善悪の問題ではないが、では、この感想が的を射ているなら、どういうふうに変わるのかを見定めなくてはならない。

 私は法律家でも法学部卒でもない。一冊も憲法関係の本を読んだことがない。この先、当ブログはひたすら高校生レベルだから、詳しいお方は読むだけ時間の無駄である。十代の諸兄と共に考えたい。小林秀雄風に言うと、考えるヒントになればうれしい。文責は全て私。全部、個人的意見です。




(この稿おわり)






風に吹かれて  (2016年6月4日撮影)


























































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