自分らしく生きる  (第184回)

 近年、実によく聞く言葉です。試しに検索すると、無尽蔵に「自分らしく生きる」を人生訓なり願望なりにしている人たちがいるようです。私には今ひとつ意味が不鮮明なのですが、忖度するに、どうにも窮屈な毎日で思い通りにいかないので、邪魔されずに生きたいというようなことならば、一方で「それは無理だ」と思いつつ、自分でもそう願うことが多いですから、お気持ちは察します。

 されど、そういう考えを生き方の方針として採用し、あるいは人にも勧めるとなれば、他の人たちも、自分らしく生きることを認めなければ余りに身勝手です。そして、全員が本当に自分らしく生き出したら、世の中どうなるか。結局は、強者が好きなことを好きなだけできるようになるだけです。


 今回は、自由と平等という難しい概念にいどみます。古典的には、自由というのは王侯貴族軍人からの束縛からの解放という趣旨で、アメリカの独立やフランス革命などを契機とし、大多数が強権発動を受けてばかりの社会から脱却するための標語であったというのが私の解釈です。

 ちなみに、英語には自由を意味する言葉に、「liberty」と「freedom」があり、この両者の違いについて、いろんな人があれこれ書いていますが、どうも納得できるものが見つかりません。アメリカに5年近くいたときの感覚からすれば、「liberty」は自由の女神に象徴されるように、抽象的・文語的・学術芸術的なお堅い用語であり、「freedom」は昔のポップ・ソングにもよく出てきましたが、口語です。


 さて、この自由と平等は、どちらも有難いものですが、容易に両立しないものであるはずです。先述のとおり、強者の自由が野放しになる世界において、あまねく平等が尊重され、実現すると思うほど私も若くない。では、日本国憲法はどういう姿勢なのか、検索してみますと、自由は11か所、平等は2か所あります。

 この登場回数の差は、紅白歌合戦や甲子園大会の出場回数より、はるかに重要な意味を持つと考えております。それは、どういう箇所で使われているかも併せてみると分かりやすいと思います。自由は、前文に1か所、第二章の「国民の権利及び義務」に9か所、第十章の「最高法規」に1か所です。


 いずれも、自由民主党の2012年「日本国憲法改正草案」において、同党が何としてでも変えたり削ったりしたがっている箇所であることは、これまで時間と手間をかけて読んで参りましたので明らかです。なお、第二章に多いのは、言論や結社や信仰や移動などの自由を細かく規定した結果であり、また、総論的な条文である第12条と第13条に、権利と抱き合わせで謳われているように、基本的人権の根幹をなすものです。

 しかし、無制限の自由は弊害があるという観点から、随所に「公共の福祉に反しない限り」という制限がかけられています。現実に人間には強弱の差があり(腕力にせよ財力にせよ年齢にせよ健康にせよ)、それは個人の努力では乗り越えられないものも多いし、ついては強者も我がままは、いい加減にせよということであります。

 この「公共の福祉に反しない限り」を、自民党の改正草案は、「公益及び公の秩序に反しない限り」に置き換えるおつもりです。秩序とは、その必要性は認めますが、法令や交通整理、中学校の校則から会社の服務規律に至るまで、人間社会では上から下に押し付けるものです。上の都合の良いように。英語の「order」という単語が、秩序・命令・注文の意味を兼ねて、日常的に使われていますので、参考になります。


 もう一つの「平等」について、日本国憲法は2か所にだけあると申しました。婚姻その他の家庭や家族間における両性平等と、法の下の平等です。正確には、以下の通り。

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
第二十四条 2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

 こちらは、さすがの改正草案も削っていません。すでに、かなり実現しているということもありますが、ここから先は至って個人的な意見ですが、私たちは自由と平等を制限されることを嫌いますが、どちらが特に頭に来るかというと、「不自由」よりも「不平等」でしょう。生きていくうえで多少の不自由は避けられないと身をもって知っていますが、えこひいきは許せないのが私たちです。平等は軽視してはならないものです。

 それにしても、登場回数が11対2とは、高校野球の予選ならコールド・ゲーム並みの差です。それもこれも、近代憲法の歴史的経緯が、「先ずは自由を」から始まっており、平等を究極まで目指した共産主義・計画経済が、この体たらくですので、今後もこの差は埋まりますまい。典型は私有財産です。自由ですから、大金持ちであるということ自体が悪ではない。


 ただし、公共の福祉は考慮しないといけないのですから、累進性の高い法人税所得税はそのための重要な手段であるはずですが、ここのところ話題になるのは消費税ばかりです。もっとも、なぜか余り報道されないのですが、これまで日本政府は何回か、IMFに消費税を早く上げるよう勧告を受けているそうです。それほどまでに、国家財政は厳しいらしい。

 それなのに参議院の定数を増やしました。6人分の智恵を追加補給しないと国会運営が危ないというのなら仕方ありませんが、わが国家財政のことを考えると、議員関連の総人件費・諸経費を増やしてはなりませんので、ついては他の議員にかけてきたお金を減らして均さなければなりません。家庭と国家の財布、両方の心配をしないといけないとは。



(おわり)






アオウミガメと泳ぐ  (2018年7月14日撮影、フランス革命記念日




































.