憲法と社会

寺本匡俊 1960年生 東京在住

教育について再考  (第185回)

 本欄の第181回において、複数のネット情報を基に言及した自民党の「改憲4項目」(本年3月25日の党大会で取り扱われと報道されているもの)のうち、自衛隊および緊急事態については既に論じました。残る二つは、定数是正および教育に関連するもの。太字で転載します。①と②の番号のみ補筆しました。


① 【参院選「合区」解消】

 第47条

 両議院の議員の選挙について、選挙区を設けるときは、人口を基本とし、行政区画、地域的な一体性、地勢等を総合的に勘案して、選挙区及び各選挙区において選挙すべき議員の数を定めるものとする。参議院議員の全部又は一部の選挙について、広域の地方公共団体のそれぞれの区域を選挙区とする場合には、改選ごとに各選挙区において少なくとも1人を選挙すべきものとすることができる。

 前項に定めるもののほか、選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。

 第92条

 地方公共団体は、基礎的な地方公共団体及びこれを包括する広域の地方公共団体とすることを基本とし、その種類並びに組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める。


② 【教育の充実】

 第26条

 (第1、2項は現行のまま)

 (第3項)国は、教育が国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないものであり、かつ、国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであることに鑑み、各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、教育環境の整備に努めなければならない。

 第89条

 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の監督が及ばない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。


 この両項目には、共通点がある。すでに、法律のほうが先に変わってしまっているということだ。集団的自衛権と同じ。もっとも、理論的には、集団的自衛権一票の格差は、すでに現憲法に反するという裁判官や憲法学者の意見もあり、政権交代で法令の変更・廃止はできる。だが教育は、或る方針の下で育った人間を、制度変更のように手続きで、元に戻すというわけにはいかない。

 そこで上記②の【教育の充実】について、ニ三回かけて考えることに決めた。これに該当する部分(第26条、第89条)は、いまの憲法では次のようになっている(青字)。なお、第26条の改正案との比較の便宜上、併せて現行の第25条も転記します。


第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

第八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。


 さて...。上記太字の改正案のうち、第26条については、いまの第1項(教育を受ける権利のこと)および第2項(いわゆる義務教育のこと)は、「現行のまま」としているので、第3項として「国は、教育が国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないものであり、かつ、国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであることに鑑み、各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、教育環境の整備に努めなければならない。」を追加したいということだ。

 これは、いったい何を言おうとしているのだろう。何度か読んだが、国防軍や緊急事態条項のように一読して「不適切」と感じるような内容・表現でもなさそうだし、逆に言えば、これがなくても全く支障がないように思う。だが、現実的な意味(改正したがっている者の利害)があればこその起草だろうから、看過できない。詳しくは、このとおり公表されて以後、野党や法律家の意見を聴いて再度検討したいが、現時点では独習しかない。


 懸案の第26条の前に、生存権を定めた第25条がある。思うに、この両条には、興味深い共通点が二つある。いまの憲法において、主語を「国が」としているのは、第25条第2項だけ。改正案の第26条第3項案も、「国が」で始まる。次に、文末が「努めなくてはならないk」という努力義務規定になっているのも、現状、第25条第2項だけであり、改正案の第26条第3項案も、同じ文末になっている。

 つまり、改正案の第26条第3項は、第25条第2項の文体を、そのまま拝借しているということだ。勿論そのこと自体は、避けるべき事態ではない。非常によく似た趣旨ならば、むしろ後輩が先輩に似て当然だろう。では、中身はどうか。特に「国」が二回も出てくるから要注意だ。


 第25条は、第1項で国民の生存権(健康で文化的な生活を営む権利)を保障し、第2項で「国」が、そのために努めるべきことを定めている。具体的には、「社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進」という、法制度、行政機構、予算を必要とする方策。努力義務になっているのは、私見にすぎないが、現実問題として財源と人手に限界があるからだろうと以前も書いた。

 第26条は、現行の第1項・第2項ともに、「すべて国民は」で始まる、第二章ならではの表現形式であり、前者で主に子供の権利、後者で主に保護者の義務を規定している。これだけでは不足と考える人たちがいて、第3項に、国の努力義務を挟みたいらしい。一見、民定憲法らしい定めだ。


 ここまで考えを進めてみても、相変わらず何を言っているのか分からない。もう少し次回、がんばってみる。とりあえず現行との比較でいえば、第24条にある「社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進」と同様の具体策がない。

 政権与党は、これまで随分と高校教育の無償化を政策として主張してきたと思うし、私は個人的にはそれより更に、幼稚園や保育所の充実が急務だと思うのだが、そういうことは憲法に書かなくてもできると世間から総すかんを喰って、引っ込めたのだろうか。そうならそうで次回、この抽象的な文言だけを書き入れずにいられない事情を探ろう。


 今回は長くなってきたので、最後の第89条の相違点をみて終わります。いまの憲法で「公の支配に属しない」となっている箇所が、「公の監督が及ばない」にさりげなく変わっている。ここだけ変えた以上、必ず意味なり魂胆なりがある。実は2012年の改正草案でも既に変更になっているのだが、以前の私の逐条検討では見逃してしまった。

 現行の「公の支配に属さない」というのは、庶民感覚でいうと「公立ではない」であり、それなら私立に税金は使わないというのも、適否はともかく、ルールとしては分からないではない。他方、改正案の「公の監督が及ばない」を採用した場合、何がどう変わるのか。


 「支配」という表現がきついのは確かだが、属するか否かは、デジタルで判断できるはず。しかし、監督が及んでいるかどうかは、誰がどう判断するのか不明である。意地悪く言えば、公権力が「監督しております」と言い張れば、私立であっても獣医学部教育勅語幼稚園にも税金を使える。その件は「監督しない」と言い切れれば、税金を使うことはご法度になる。こういう理解で宜しいのか、これも有識者のご意見を待とう。

 では次回は、先述のように、教育分野においても、「法律のほうが先に変わってしまっている」事態の復習から始めようと思う。あまり愉快な話題ではない。平成18年、教育基本法の改正についてだ。




(つづく)




奄美諸島の珊瑚  (2018年7月12日撮影)
































.