道徳教育勅語  (第187回)

 宗教学者山折哲雄氏の講演を、何回かお聴きしたことがある。ご本人によると、オウム真理教の教祖麻原と対談したことがあり、サリン事件のあとでマスコミから取材を受け、宗教学者なのにその危険性が分からなかったのかと詰問されたらしい。こう答えたそうだ。「私は宗教の専門家だが、殺人事件なら君たちが専門だろう」。お会いして簡単な挨拶をし、御著書に揮毫していただいたことがある。

 その山折先生が、2017年12月6日の毎日新聞朝刊の「論点」に寄稿していなさる。このときの題材は、去年の大きな出来事の一つだった天皇の譲位についてのことだったが、その中で皇室の歴史(正確に言えば、皇室を取り巻き、利用せんとする連中の歴史)について、こう触れている。


 「大政奉還して明治維新を迎えた段階で、日本の伝統的な多神教的な神道が、キリスト教の影響を受けて一神教化し、国家神道へと変化していった。そして、帝国主義の波に巻き込まれ、戦争の時代に突入していく」。教育勅語連隊旗御真影も、「上官の命令は、大元帥陛下の御命令である」という軍の理屈も、こうして現人神の一神教が、あくどく変質していったものなのだろう。

 私は伯父が戦死している。祖父の使用人も、母の親戚もそれぞれ何人か兵隊にとられた。生還したのは一人だけ。そんなわけで、最近は先の大戦の資料などを読んでいるのだが、空襲で校舎ごと教育勅語が全焼してしまい、校長先生が自決したという話を一再ならず読んだ。無宗教の私にとっては、印刷物を配布しただけのものなのに、これが宗教の怖さだ。


 こうして現政権の批判ばかりしているが、当初書いたように、私は憲法を一字一句たりとも未来永劫、変えてはならないという考え方はしていない。時代が大きく変わるかもしれないし、そもそも、憲法に興味を持った理由の一つが、子供のころから、第9条第2項と、自衛隊の存在がどうして両立しているのか不思議だったから。今もそう。少なくとも外見上は、どうみても武力です。

 もしも事情を知らない外国人や子供に「どうして?」と訊かれたら、「これには事情があってね」とでも答えて逃げるしかない。一つだけ、はっきりしているのは、現政権や、その方針を継ぐ将来の政権には、絶対に憲法を、いじらせてなるものかという決意です。


 昨日だったか、私と同年代で「オウム世代」である衆議院議員稲田朋美が、報道やネットによると「憲法教という新興宗教」云々というツイートをし、誤解を招くというような理由で削除したらしい。私も誤解しました。てっきり、彼ら自身の自主憲法病を、新興宗教に位置付けて命名したのだと思った。彼女からみれば、私も「憲法教」の信者なのだろうか。単に、守るべき者たちが守ろうとしないから、護ろうとしているだけなのに。

 この程度の醜聞は、これまで同人がやらかしてきた悲喜劇の数々と比べれば、軽いものだろう。しばらく前に「国務大臣稲田朋美君)」は、参議院予算委員会において、教育勅語に言及し(というか福島みずほ君に質問され)、「日本は道義国家を目指すべきである」という、教育勅語の精神を取り戻さなければいけない旨の答弁をした。

 最近は「発言の一部だけを切り取られた」と言って、報道内容を否定する傾向があるが、では本来の趣旨は何だったのかを説明しなおしているのには、余りお目にかからない。ともあれ、本件に限れば何回も繰り返し述べているので、しかも国会の議事録に残っているのだから、私の小細工ではない。URLにあるとおり、去年の3月8日(第193回国会)のものです。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/193/0014/19303080014009.pdf


 教育勅語は、その文章自体はさまざまなネット・サイトに載っている。いろいろ解釈があるようなので(この点に限れば、旧約聖書四書五経とと似ていなくもないか)、一つのサイトの現代語訳を信じ込まない方が良さそうだ。とはいえ、ここで引用しない訳にもいかないので、大御所の明治神宮に登場願うことにした。原文の写真のようなものと、「口語文訳」なるものがある。
http://www.meijijingu.or.jp/about/3-4.html

 教育勅語は、明治23年に世に出た。大日本帝国憲法帝国議会がそろった明治20年の3年あとで、日清戦争の4年前だ。当時の総理大臣は、山形有朋。初代の「朕」は、間違いなく明治天皇だから、明治神宮としても、力が入るのだろう。法律などを認めた御名御璽(今の憲法でいう国事行為)ではなく、少なくとも形式的には、明治天皇がお一人で書いて出した書だ。


 私は、部下の軍人が亡くなったという知らせを受けるたびに、その名を手元の手帳か何かに必ず書き足していたと伝えられている人を二名知っている。一人が明治天皇。もう一人が山本五十六。陛下もまさか、後年、この勅語が、あんな使われ方をするようになるとは、夢にも思わなかったに違いない。

 それにしても、明治神宮の説明文も振るっていて、すでに明治五年ごろには、「文明開化の風潮により洋学が重んじられ、我が国伝統の倫理道徳に関する教育が軽視される傾向にありました」と真っ正直に、日本の「伝統」の怪しげな現状について厳しく批判している。あえて日本の伝統的得意技を明記すれば、変わり身の早さだ。そしてまた、前時代に戻りたがる。三条実美は、近代国家の太政大臣になった。


 この勅語が「倫理道徳に関する教育」に言及しているのは確かだろう。例えば、一行目に「忠」と「孝」が出てくる。これは我が国の文化・伝統というより、儒教の教えではないのか。まあいいか、年号もみんな儒教から頂戴しているし。

 また、明治神宮の「口語文訳」および稲田君の発言に出てくる「道義国家」という意味不明の言葉は、原文にはない。そもそも、個人の徳目たる道義と、国家はどういうふうに頑張れば、くっつくのか。そのかわり、「國憲ヲ重シ」の口語訳が無いのも奇怪である。これが国家神道の正体なのだろう。

 そういえば話題の森友も、「夫婦相和シ朋友相信シ」を地で行く政治家夫妻と教育者夫妻の親しい間柄が招いたものではないかと、もっぱらの観測です。私には真相が分かりませんが、本件だったか別件だったか覚えていないが、検察の人が「人一人死ねば、疑惑は本物だ」と語っていたのが忘れられない。本件では若い人が自ら命を絶っている。


 勅語は古い文体だし、旧い時代の考え方だから、きっちり読めたとは申しませんが、それでも漠然とした印象として、教育勅語モーセ十戒に、似た側面がある。一神教の神が、爾臣民に命じた片務契約のようなものだ。そこに国家が介在する余地はない。

 文中には「公益ヲ廣メ」という言葉がある。前後の文脈からして、「立派な人間になって世のため人のため、役立つような人になりなさい」という、平たく言えば田舎のお袋さんの口癖のようなものだろう。一方、「自由民主党 日本国憲法改正草案」においては、現行の「公共の福祉に反しない限り」に替えて、新たに「公益及び公の秩序」に反しない限り云々が、何か所かに出てくる。


 こちらの「公益」は、教育勅語から漢語を拝借してきたのかもしれないが、私の解釈と同じ意味とは思えない。「秩序」は、明治神宮がそう言っているだけで、原文にはない。そもそも福島みずほ君の指摘にあるとおり、教育勅語は衆参両院の決議により、排除・失効が正式に決定・確認されている。全国の学校から、回収されたのだ。それぞれ、決議文が残っている。一口で申し上げれば、憲法に反すると言っている。

衆議院: http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/002/0512/00206190512067a.html
参議院: http://www.sangiin.go.jp/japanese/san60/s60_shiryou/ketsugi/002-51.html



(おわり)





ときに都会の汚れた空気は、不気味に美しい夕焼けを見せる。
(2018年8月7日撮影)
























.