憲法と社会

寺本匡俊 1960年生 東京在住

男系男子  (第209回)

今回は全くの私見でございまして、学術的な根拠のようなものは無い。直観に過ぎません。でも熟慮する前に、忘れないようメモします。

一部の偏屈な右翼が極度にこだわる天皇制の男系男子、あれは何事でしょうか。熱意というより、執着と呼ぶべし。


日本会議やら、その関係団体やらのお偉いさんのリストが、ネットや書籍に載っておりますが、その多くは次の三者が占めているようです。

(1)最大与党の政治家。(2)神主ほか宗教指導者。(3)大企業の経営者。以上については現役とOBOGを問いません。



いずれも、典型的な男系男子の世襲の好例です。どうやら彼らは天皇もそうであってほしいらしい。そして彼らが、皇室を敬愛しているのではないということは、その言動や表情で分かります。

もう一つ、現実の慣習を付け加えれば、長男であることです。これは古くから日本の貴族、武家、商人に至るまで広く採用されてきました。海外でも珍しくはありますまい。


世襲はいま現物に碌なのがいないという印象が強いため、否定的な意味合いで使われることが多い。でも実際に多用されているということは、何ならかの利点、便利さがあるからです。

何より代替わりで、もめることが少ない。私の世代にも、まだ濃厚に長男相続は残っていました。私自身、長男です。稼業も自宅もお前が継ぐ。その代わり、両親の面倒を見て、墓を守る。


これは、そうしたくない長男にとっては迷惑この上ない圧力で、単なる男尊女卑で片づける者に対し、私は腹立ちを覚えます。おまけに次男三男は、多くの場合、家を出て行かなくてはならない。大変な不公平です。

当事者がかくのごとく面倒を背負うのにもかかわらず、社会一般に受け入れられ支持され続けてきたのは、当事者の周囲にいる者にとって便利だからです。


何かの拍子で、はねっかえりの次男坊などが出ると、壬申の乱義経を思い出しますが、「お家騒動」が起きます。そのたびに争っている本人たちばかりでなく、一族郎党も二手に分かれて戦い、時には命にかかわる。

これを予防するには、皇室や貴族や将軍家が採用した男系男子相続が一番、穏当です。側室制度を併せれば、スペアの在庫も豊富になりましょう。先代の存命中から、あれこれ準備しても、誰も不敬だの親不孝だのと言いません。


今は命がけで骨肉の争いをするというのは珍しくなったでしょうけれども、おそらくその分、陰湿な戦いが起きていそうな気もします。彼らとしては、それをできるだけ避けたい。

代が替わるたびに、エネルギーを消耗していては、支配者階級が崩れてしまいます。だから政治家とその支持者も、神主とお弟子たちも、経営者とその取り巻きも、一緒になってこの物語を維持すれば、そう簡単に下克上は来ない。地盤・看板・鞄のリレーです。


しかし、日本国憲法のどこをどう読んでも、これが唯一の正統な後任選びだとは読めないし、ほかの手段はいけないとも書いてはいない。明治憲法にも書いてないでしょうけれども、あのころは、言わずもがなの強固な家督相続方法だった。

でも今や時代は変わりました。長男どころか、われわれ男が家族親戚や、映画やドラマ、マンガや小説からも説教されつづけてきた、男の子は良い大学に入り、良い会社や役所に入り、妻子を養って、マイホームを建てれば一人前という拷問は、全滅したとまでは言いませんが弱体化しました。


まして全世界の常識ではないことは、言うまでもありません。欧米の先進国では嗤われるだけでしょうし、私がかつて駐在していたカンボジアでは、約7割が末娘相続でした。確かアイヌと同じです。

こうなるともう、これが日本では常識で伝統で文化で歴史だと主張し得るお手本は、国内外に人気がある皇室に求めるほか、ありません。これこそ、取り巻き連中が安心してエスタブリッシュメントでいられる言い訳だからです。



(おわり)


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夕暮れ東京の富士山  (2019年10月26日撮影)



































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