その名は国防軍  (第25回)

 
 小欄も時には無駄話でも挟まないと、息が詰まって続けられない。現時点では、憲法を精いっぱい解釈しても、自衛権は「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」になっている。これは、先日、防衛省自衛隊のサイトから引用したが、申すまでもなく「必要最低限」の量的・質的な基準などない。その都度、議論し判断するしかない。何せ、相手の出方と戦力によるのだ。

 それだけではなく、必要最低限すら満たせない可能性がある。当然のことだが、その時点で保有している武器・弾薬しか使えない。専守防衛である以上、大陸間弾道弾は必要ないということになっている。こういう「距離感」は、まだしも分かりやすい。でも当方の軍備が、襲来した敵と比べて物量的に、あるいは威力・効果が不足したら、自衛を達成できないはずだ。


 映画のゴジラでも、ウルトラマンでも、憲法の想定外の侵略者が来ている。それでも自衛隊は、相手が上陸し次第、現有の自衛力で最善を尽くしていた。子供のころは、そんなことを考えて観ていたわけではないが。相手は通常の戦車や戦闘機など、ものともしない。

 ウルトラマンの周辺で活躍している科学特捜隊は、国際機関であり、その日本支部にハヤタは所属している。設定としては、国連軍が来たらそうであるように、憲法やその解釈を超えた必要最低限どころではない武器も、国際機関なら憲法違反ではなく、それどころでもない。なお、ゴジラ退治も、通常兵器では無理だったので、こちらは必要最低限の必殺技を使っている。


 今の自衛権の発想は、大相撲で言えば、横綱相撲だろう。とにかく相手の出足を受け止めた後で倒す。相撲では共通のルールで組み合い、相手の実力や癖もある程度、知っているので横綱ならできるのであり、現実の侵略戦争でこれをやると、怪獣相手と同様、被害の実態や、放置した場合の損害の拡大のおそれが把握できた段階で反撃するから、それまでに相応の犠牲が出る。

 軍を持つべしという意見の方々におかれては、多分その理由として、一つはそういう犠牲者になりたくないし、そういう段階まで来たら何をしていいかわからないので困るという、これは誰でもある程度は持っているはずの防衛反応と保身術。もう一つは後日語るが、戦争は何かとお金が儲かるのだ。こちらは立場により、身の振り方により、結果により、格差が大きい。


 改正草案の第9条の大半は、新設の条項ばかりである。第9条の二および三は、全文が新品だ。順番にいきます。第9条の二は「国防軍」という名前で、周知のとおり十年前の案では、名称が自衛軍だった。つまり、自衛隊の格上げ風だった。

 しかし、今回は自衛だけのはずなのに、勇ましい名前になった。まさか、党の長老が真似したらどうかと述べたナチス・ドイツ国防軍を真似したのではあるまいな。まさか、そんなものすごく印象の悪いものを選ぶはずがない。第1項の条文案は以下のとおり。

 国防軍
 第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。


 真ん中に「するため、」とあるので、前半が目的、後半が手段だろう。前半を分解する。「並びに」は「及び」よりも大きいカテゴリーに使うと、前回引用した契約用語の本にある。述語は「確保する」。確保の対象は、(1)我が国の平和と独立、(2)国の安全、(3)国民の安全である。

 願わくば、この順番で大切ということではあるまいな。確かに、国が亡んだら、国民が無事であるはずがない。しかし、改正草案の前文には、日本国民が国を自ら守ると書いてある。どうやら、国防軍は、国民防衛軍ではなく、国家防衛軍のことらしい。まあ、近代国家は、どこもそうだろうな、きっと。


 この目的を達すべく、「内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」。さて、我が家に「肉弾」という本がある。日露戦争従軍記。これに、お馴染みの「天皇陛下万歳」が出てくるが、それよりも登場頻度が高いのが「大元帥陛下」である。

 これは、明治憲法の下で戦った日清・日露、第一次と第二次の世界大戦において、兵は誰のために戦い死んでいったかというと、元首というよりは統帥権者としての天皇なのだろう。軍部もそういう教育をしていたはずだ。その天皇も今や象徴であるのみ。


 こうなると、他の共和国同様、政治の最高責任者が、軍の最高司令官になるというのは、他にどうしようもない選択なのだろう。反対のしようがない。むしろ心配である。昔のような現人神のごとき精神論はもう通用しない。「総理大臣万歳」は無い。戦国時代ではないから、軍人政治家はいない。

 近代の軍隊の構成や戦法の発明者を一人選ぶとすればナポレオンらしいが、彼によると、「人を動かすのは恐怖と利益である」らしい。ただし出典を覚えていないので、正確かどうか自信がない。でも、ビスマルクのアメとムチも同じようなものだ。現代の軍人は、利益(報酬や恩給)と、恐怖(敗戦や軍法会議の先にあるもの)で動くはずだ。どこの国でも。


 ここで、いきなり総論的な話になりますが、第9条の二は、危なっかしくて、とても賛成できない特徴がある。全部で五つの条項があるのだが、上記の第1項を除き、残る四項の全てに「法律で定める」あるいはそれと同類の委任(法律に外注)の箇所がある。憲法で決めていないことが、たくさんあって、通常の法律で後から幾らでも決められるし、変えられる。

 経験者ではないが、戦争は不測の事態もいろいろあるのだろうし、戦争に限らず何もかも憲法で決められないことぐらいは分かる。改正草案の他の章にも、現行憲法にも、個別の法律に定めるという条項は多い。だから、数の多さだけで非難はしない。問題は、この条文で何が起き得るかだ。

 特にこの第9条を中心に、改正草案において新たに「法律の定めるところにより」を追加する箇所については、どのような法律を新たに作るのか、概要なりとも説明してほしい。これは決して不当でも過剰でもない要求だと思う。


 長くなってきたので、今回は第9条の二、第2項までにする。条文案は次のとおり。
2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

 問題とする箇所を一つに絞る。「その他の統制」というのは何だ。まず、国会の承認が要るのは当然として、司法は不要なのだろうか。世界の常識は知らないが、容疑者の逮捕でさえ裁判所の令状が必要なのに、いくら緊急事態だからといって、多くの人命にかかわることに司法は関連しないのだろうか。この件は無知なので、単なる疑問点です。


 上記「その他の統制」が、もしも司法ならそう書くだろうから、別の機関なのだろう。しかも、三権分立の外だ。当たり前だろうけれど象徴天皇の国事行為に、国交断絶や宣戦布告は入っていないし読めまい。そもそも、軍を「統制」できるはずがない。譲位のご意向だけでも、この騒動である。

 内閣総理大臣が、その統制に服する相手とは、「法律の定めるところにより」、どこの誰になるだろうか。国連軍の初出場が決まれば、国連か。今の自衛隊は、国連軍に軍隊として参加できないが、国防軍はできるはずだ。でも、例えば一つの常任理事国が拒否権を発動すれば、国連軍は動けないというのが私の理解で、だからこそこれまで国連は身動きが取れなかった。


 ここでは具体名を書けないが、日本の仮想敵国はどこか、仮にその国と戦闘状態に入れりとなったとき、各常任理事国は拒否権を行使するか否か、という現実的なことを考えると、どうやら、第2項は国連軍も読めるけれども、期待度は低いような気がする。「残りもの」の心当たりは、一つしかありません。福があるといいが、アメリカの統制に服するのだろう。

 ただし、第1項と第2項のつながり方からすると、「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため」の「任務の遂行」だから、例えば国内の米軍基地周辺が攻撃されるというような、日本人もアメリカ人も危ない目に遭う場合ということか。これはむしろ日米安保条約の世界かもしれない。だが、第3項は違う。違うと書いてあるから間違いない。次回に続きます。





(おわり)





小石川植物園  (2016年5月3日撮影)


















































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