小さな本屋  (第163回)

 しばらく更新を停めていました。個人的な理由によるもので、最近あまりに言葉遣いが荒れてきて、自分でも読み返すと気分が良くないというほどになってしまった。これでは、どんどん気が荒んでいくなと思い、少し頭を冷やしておったのです。世が荒れると、凡人でさえ荒れるらしい。気を付けないといけない。

 先日、用事で近所に外出した際、小さな本屋が新しく店を出していたので、中を覗いてみた。そんなに広くない。カウンターを含めても八畳ぐらいだろうか。ここ数年で昔ながらの、風呂屋の番台のようなものがある町の本屋が、近所で二軒、店仕舞いしてしまった。そこに近年、珍しい新規出店だ。


 いま小規模な本屋で生き延びている店は、ほとんどが雑誌とコミックスとガイドブックに、流行りの文庫本や新書が置いてあるのが殆どだろう。けっしてバカにして言うのではないが、私が旅行や出張のときに、手持無沙汰を避けるために書物を買う駅の書店と変わりがない。

 でも、その店は文藝や歴史の単行本などが中心におかれていて、清潔な店内だったし、店主も良い感じの人だった。店主かどうか決めつけるのもなんだが、四十前後の女の人で、ただひとり店の番をしながら、出入りする人に挨拶やお礼の声をかけて微笑んでいる。私がうろついている間、ずっと立ったままだった。


 この書店の片隅に、たぶん彼女が設けたに違いない小さなコーナーがあった。別に「地図」とか「医学」とかジャンルが書いてある看板があったわけではないが、いま自分が読んでいるような本ばかり、横幅にして数時十センチほど並べてあった。

 それらは、大雑把にいうと、「憲法を変な風に変えないでほしい」とか、「戦争をさせることができる国にするのはまずい」という趣旨の題名がついていて、自分が持っている本も何冊かあった。


 あいにく今年に入ってからは生活費が苦しく、新しい本を買う余裕がなかったので、眺めただけで帰った。それでも、店を出るときに彼女の丁寧なお礼の言葉を聞いてしまった。これで去っては近所の名が泣こう。

 店に戻って、文庫本を二冊買ってきた。そのうち一冊は短編集で、自分も持っている本に収められている作品が二つ入っている。一つは筒井康隆東海道戦争」、もう一つが唯一の漫画作品で手塚治虫「悪魔の開幕」。書籍名は、「あしたは戦争」(ちくま文庫)。企画協力は、日本SF作家クラブ


 手塚さんの「悪魔の開幕」は、もう三十年ぐらい前に買った短編漫画集に入っており、確か今も実家に置いてあるはずだ。最初に読んだとき、丹波首相の暗殺を企む男が、丹波哲郎に似ているなと思ったのを覚えている。いま見ても似ている。

 この作品を読んで、手塚が予言者だと思うのは良くない。彼は私の両親や伯父伯母と同世代で、旧制中学のとき、大阪の空襲で死んでもおかしくない目に遭っている。彼が描いている時代背景は、物語の設定上は未来だが、実際は彼らが少年時代に体験した過去(だったはず)のものだ。


 もっと、酷いか。憲法が改正され、戒厳令が敷かれている。筒井の「東海道戦争」も同じで、策謀はゆっくりと時間をかけて仕込まれ、油断しているうちに、あっという間に現実のものとなる。

 私も一人ここで、口汚く罵っているばかりでは、何も変わらない。仕事や体調に悪影響を及ぼすばかりなのだ。こうして、しばらくは多くの人に読んでもらいたい本や、観てもらいたい映画などをご紹介しつつ、感想や意見を述べる地味な作業を続けていこうと思う。近所の本屋の為に、立つ。悪くない。



(おわり)



台東区谷中にて、大物雪だるま
(2018年1月24日撮影)



































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