選挙における差別 (第108回)

 
 アメリカの労働法では、年齢による差別を、連邦法レベルで禁じているらしい(定年までは雇うという優遇もない)。複数の法律家からお聞きしました。原文は読むのが大変そうなので遠慮しているが、「Employment discrimination law in the United States」という法律。

 しかし日本には、こういう規定がない。65歳まで雇用を確保するようにという法律が最近できたが、罰則規定がある強制法規ではなく、例えば贅沢な労働条件を主張する60歳の従業員でも、絶対にその申し出通り雇わないといけないということではない。


 そんなことを思い出したのは、今回の憲法第44条を読んでいたときのことだ。選挙権と、被選挙権(立候補する権利)についての規定です。

【現行憲法】 第四十四条 両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない。

【改正草案】 (議員及び選挙人の資格) 第四十四条 両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律で定める。この場合においては、人種、信条、性別、障害の有無、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によって差別してはならない。


 相違点は一か所。改正草案には、今の憲法にない「障害の有無」が、差別禁止の項目に追加されている。これは、すでに第14条の「法の下の平等」においても同じことがあった。改めて並べてみる。ただし、ここではその第1項のみ。

【現行憲法】 第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

【改正草案】(法の下の平等) 第十四条 全て国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、障害の有無、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。


 第14条も、第44条も、年齢に触れていない。米国は上記の法規制があるから、雇用において定年という概念がない。定年は年齢差別なのだ。まだ働けるし働きたい人も、「次がつかえている」「ようやく、さようなら」等々の理由で退職となる。人手不足の時代になって、そうも言っていられなくなったが。

 第44条について、実際には年齢制限がある。ただし、これは全員一緒なので(例えば雇用の場合は、民事だから会社により異なる)、差別とは言わないだろう。近年の動向としては、有権者の年齢の下限が、20歳から18歳になった。

 なお、第44条の条文にある「法律で定める」の法律とは、他にもあるのかもしれないが、私の知る限り「公職選挙法」がこれに該当するはずだ。年齢のことや、刑務所にいる人たちの権利などが書いてある。


 未成年は判断能力がないから駄目らしい。未成年の子がいる親には、その数だけ親の投票用紙が増える制度が外国にはあるそうだが、我が国の現状は、それを許すまい。一票の格差の是正でさえ、政治は(与党は)「やる気がない」の歴史を刻んでいる。ゲリマンダー的。

 言葉遣いに気を付けないといけないが、判断能力がない人は、未成年だけではあるまい。それより、未成年だって中卒で働いているなら、選挙権がないのはおかしいと前にも述べた。切りがない。解決は至難だ。かくて、憲法はいつまでたっても、年齢による差別が追加されないような気がする。


 なお、意地悪い見方だとは思うが、まず間違いなく、第14条や第44条に並んでいる差別禁止の対象は、現実に差別が起きやすいから、禁止しているはずだ。そういう意味では、「障害の有無」をどう考えたらいいのだろう。

 私の子供のころと比べれば、少なくとも表面的には障害者の差別はずいぶんと減り、寛容な社会になったと思う。他方で、「放送禁止用語」とやらが、ぜったい使ってはダメというような紋切り型のルールになってしまい、また、最近、障害者施設で残酷な犯罪が起きたように、何かが抑圧されているような気もする。


 私も軽い障害があり、実際に年に二三回は、他者の助けがないと困る事態に陥る。子供のころは、これでからかわれて、ずいぶん嫌な思いもしたが、ごく軽いものだから文句はいわない。人は自分と異質な者に対し、条件反射的な違和感や嫌悪感を持つから、障害の問題は難しい。

 それに、「障害の有無」という表現も、何だか今日は言い散らかしのイチャモン大会みたいで恐縮だが、まるで障害者手帳の有無みたいなデジタルの響きがある。実際は、グラデュエーション的に程度問題の広がりがあるのだが...。学歴や身分や収入のようには、明確な違いというものが必ずしも無い。


 さらに言えば、現実の社会で否応なく差別が生じている主観的な要因、例えば、容姿が典型だが、これは法規がとりあつかう問題ではない。道徳の対象だ。つまり、被選挙権のほうではなく、選挙権を行使する人たちの責務です。

 だから、道徳教育とか道義国家とかいう言葉が好きな人たちは、私には極めて、うさんくさい。心の問題に国家権力が土足で踏み込んできては敵わない。最近、仲間割れしているのが可笑しい。だが、いい加減に心を改め、本業に戻って正道を歩んでくれい。


 もう一つ。いまの憲法も改正草案も、第14条と第44条には、共通の特徴がある。第44条の選挙については、「性別」が入っているが、第14条の法の下の平等には、性別がない。ほかのメンバーはほぼ同じ顔触れだけに目立つ。これは、どうしたことか。

 先ほどの「差別されやすいから、項目として列記されている」という論法に従うと、性別は、法の下の平等では大きな問題ではなく、選挙では問題になりかねないということになる。


 法の下の平等については、実態は問題が多く、民法や労働法の世界でも、訴訟が少なくない(遺族年金では、男が不利という訴えも出た)。これは憲法よりも実社会の意識の向上が、先行している例だろう。加えても構わないのだが、どうします、改正法案。男系天皇の件があるから、黙ったままでしょうね。

 選挙における男女の差別は、形式的には無いはずで、閣僚や知事で活躍する女性も増えた。ただし、まだ世界的に国会議員の男女比率は、悪い方から数えて日本はすぐに出番がくる。


 官界も財界も似たり寄ったりだが、段々と良くなっていくだろうと期待している。もっとも当面、おっさんたちは既得権益を死守するはずなので、ハラスメントはなかなか減らないはずだ。

 今の日本には、無党派層・浮動票に振り回されるのを恐れて、「投票を扇動するな」などと言い張る連中までいる。選挙制度は、民主主義の根幹に関わる。現状、投票率が示すように、主権者の関心は決して高くないが、議論はひたすら続けていくのだ。




(おわり)





花の雲鐘は上野か浅草か 芭蕉

近所にて。うちからは上野も浅草も、歩こうと思えば歩いて行けます。疲れて帰れないことはある。
(2017年3月31日撮影)





































.